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「死せる孔明生ける仲達を走らす」の意味
「死せる孔明生ける仲達を走らす」(しせるこうめいいけるちゅうたつをはしらす)とは、優れた人物は死んでもなお生前の威光が残っていて、生きている者を畏怖(いふ)させるというたとえです。偉大な人物の影響力は死後も続き、生きている人々に対して強い影響力を持ち続けるという意味を表します。
「死せる孔明生ける仲達を走らす」の由来と歴史的背景
この故事成語は中国の三国時代に由来しています。蜀の名軍師である諸葛亮(諸葛孔明)と魏の司馬懿(司馬仲達)の対峙であった「五丈原の戦い」がその舞台です。
詳しい経緯は以下の通りです:
- 蜀の丞相である諸葛孔明が魏の司馬仲達と五丈原で対陣していた時、孔明は病の中で過労となり病死しました。
- 諸葛亮の死後、蜀軍は撤退を始めましたが、魏の大将軍である司馬懿はこれを知り、撤退する蜀軍を追撃しようとしました。
- しかし、蜀軍が反撃の姿勢を見せたため、司馬懿は「これは諸葛亮の計略かもしれない」と疑い、恐れて退却しました。
- この出来事を受けて、蜀の武将である蒋琬が「死せる諸葛、生ける仲達を走らす」(死諸葛走生仲達)と揶揄したことが語源となっています。
この言葉が司馬懿の耳に入ると、彼は「私は生者のすることは推し測れるが、死者のすることは推し測れない」(吾能料生、不能料死)と答えたとされています。
「孔明」と「仲達」について
- 諸葛亮(しょかつりょう):「孔明」はその字(あざな)で、蜀の軍師として優れた戦略家として知られていました。
- 司馬懿(しばい):「仲達」はその字で、魏の優れた軍師・政治家で、後に晋王朝の基礎を築いた人物です。「仲」は次男であることを表しています。
「死せる孔明生ける仲達を走らす」の現代における使い方と例文
現代における使い方
現代では、次のような場面で使われます:
- 既に亡くなった人物(特に優れた指導者や著名人)の影響力や威光が、死後も組織や社会に強く残っている状況を表す時
- 故人の残した業績や思想が、現在の人々の行動や考え方に大きな影響を与えている様子を表す時
- 過去の権威が現在においても強い影響力を持ち続けているという意味で使われることも
例文
- 「創業者が亡くなって10年経つが、彼の経営哲学は今も会社の隅々まで生きている。まさに死せる孔明生ける仲達を走らすだ」
- 「名教授の教えは彼の死後も研究室に根付いており、死せる孔明生ける仲達を走らすの典型だ」
- 「先代の社長だったらどうするだろうと、いまだに重役たちは考えて動くんだそうです」「死せる孔明生ける仲達を走らすというやつですね」「まあ、先代がいかに大人物で手腕家だったかという証拠でしょう」
「死せる孔明生ける仲達を走らす」の類語
- 類語:「虎は死して皮を残し、人は死して名を残す」(とらはししてかわをのこし、ひとはししてなをのこす)- 人は死んでも名声が残るという意味
- 関連語:「死後の栄誉」「死してなお生きる」など
「死せる孔明生ける仲達を走らす」の英語表現
この故事成語に対応する英語表現としては:
- “A dead Zhuge scares away a living Zhongda.”(死諸葛嚇走活仲達)- 直訳的表現
- “The reputation of the dead still influences the living.”(死者の評判は生者に影響を与え続ける)- 意味を汲んだ表現
- “Even in death, the great man’s influence remains powerful.”(偉人は死してなおその影響力は強大である)
- この故事成語は正確には「死せる諸葛、生ける仲達を走らす」が原文(「死諸葛走生仲達」)に忠実ですが、「死せる孔明、生ける仲達を走らす」という表現が一般的に広まっています。
- 『三国志』の他、『漢晋春秋』や『三国志演義』などの歴史書・文学作品にこの故事が記されています。
この故事成語は、偉大な指導者や影響力のある人物の死後も残る影響力について語る際に、今日でも使われる表現です。