「泣いて馬謖を斬る」の意味
「泣いて馬謖を斬る」(ないてばしょくをきる)は、中国の三国時代に実際に起こった出来事に由来する故事成語です。
規律を保つためには、たとえ愛する者や才能ある人材であっても、違反者は厳しく処分しなければならないという教訓を表しています。私情よりも組織の秩序や規律を優先せざるを得ない、苦渋の決断を意味します。
「泣いて馬謖を斬る」の由来と歴史的背景
「泣いて馬謖を斬る」の背景となった出来事は、228年に起きた「街亭の戦い」です。この戦いは三国時代における魏と蜀の間の重要な戦いでした。
蜀の軍師・諸葛亮孔明は、北伐(魏に対する北方への攻撃)を開始するにあたり、街亭という戦略的に重要な場所を守るために馬謖を抜擢しました。馬謖は「並外れた才能の持ち主」と評価される有能な人材であり、諸葛亮も彼を非常に信頼していました。
しかし、馬謖は諸葛亮の指示に反して、水の確保できない山上に陣を構えるという致命的な判断ミスを犯します。そのため魏の将軍・張郃に水路を断たれ、渇きに苦しんだ蜀軍は大敗。この敗北により、諸葛亮の第一次北伐は失敗に終わりました。
諸葛亮は軍規を守るため、涙を流しながらも馬謖を処刑する命令を下しました。実はこの事件には諸葛亮の悔恨も関係しています。実は劉備からは「馬謖を重く用いてはならない」と遺言されていたにもかかわらず、諸葛亮はそれに背いて馬謖を重用したのです。この点からも、諸葛亮の決断の苦しさがうかがえます。
「泣いて馬謖を斬る」の現代における使い方と例文
現代における使い方
現代では、「泣いて馬謖を斬る」は主にビジネスやスポーツなど、規律を重んじる場面で使われる表現です。個人的な感情や私情よりも、組織全体の秩序や規律を優先させなければならない苦渋の決断を指します。
主な使用場面
- 企業での懲戒処分や人事決定
- チームスポーツでの選手起用
- 政治や行政での責任追及
- 教育現場での指導方針
この言葉が示すのは、単に厳しい処分を行うというだけでなく、処分する側にも深い葛藤や苦悩があるという点です。愛情や信頼を寄せている人物であっても、組織や集団の規律を守るためには厳格な対応をとらざるを得ない—そんな決断の苦しさと必要性を表しています。
例文
- 「課長はあの部下のことを息子のように可愛がっていたが、今回の規則違反に関しては泣いて馬謖を斬るべきだと思う」
- 「監督は主力選手の不祥事に対し、チームの規律を守るため泣いて馬謖を斬る決断をした」
- 「彼女は親友の不正を見つけ、会社の信頼を守るために泣いて馬謖を斬る思いで上司に報告した」
- 「社長は自分が抜擢した役員による不正を知り、泣いて馬謖を斬る覚悟で解任を決断した」
「泣いて馬謖を斬る」の対義語と類語
対義語
- 「手加減する」- 厳しさを和らげて対処すること
- 「情けをかける」- 同情して甘く接すること
- 「大目に見る」- 寛大な態度で許すこと
- 「目をつぶる」- わざと見ないふりをすること
類語
- 「心を鬼にする」- 厳しい態度をとるが、これは相手のためを思ってする行動
- 「公私混同しない」- 個人的な感情と公的な立場を区別する
- 「法の下の平等」- 地位や関係にかかわらず同じ基準で対応する
「泣いて馬謖を斬る」の英語表現
英語では「泣いて馬謖を斬る」に完全に対応する定型表現はありませんが、以下のような表現で同様の意味を伝えることができます:
- “To make a costly sacrifice in course of justice” (正義のために高い代償を払う)
- “Reluctantly punish a valued subordinate to maintain discipline” (規律を維持するために、価値ある部下を不本意ながら処罰する)
- “Make a painful decision for the sake of discipline” (規律のために苦痛を伴う決断をする)
- “Put principles before personal feelings” (個人的感情より原則を優先する)
このように、「泣いて馬謖を斬る」という表現は、単なる厳格な処分ではなく、愛する者を苦痛を伴いながらも規律のために処分するという、決断の苦しさと必要性の両方を含んだ深い意味を持つ言葉です。ビジネスや組織運営において、個人的感情と公的責任のバランスを考える際に用いられる重要な教訓として今日も生き続けています。